子どもに与える親の影響

子育て

私たちは、子どもに対して日々いろんな選択を行っています。

食事ひとつとっても、何を食べさせるのか、どうやって食べさせるのか、

食べなかったらどうするか、どんな声をかけるのか、叱るのか、諭すのか・・・

もちろん自分の人生も選択の連続ですが

まだ小さいわが子にとっては、親の「選択」が「責任」という形になることがあります。

今日は、そんな親の子どもに対する影響についてのお話です。

不登校になった、友人のお子さん

友人のお子さんは中学1年生です。

ある日、友人から「ついに不登校になった」と聞きました。

「ついに」と言われましたが、私は初耳でした。

どうやら、小学生の頃から「そんな気があった」らしいです。

「ゲームが好きでインドア」のお子さんという話でしたが、

中学校に入学してからは、運動部に入部したと聞いたので

中学校へ行って頑張っているんだなぁと思っていました。

それまでも時々学校を休むことはあったらしいのですが、

7月に入ってから、「ついに」学校に行けなくなったそうです。

友人は「『なんで行けないのーー!!』って叫んで、親子で大泣きしちゃったよ・・・」

と、話していました。

私は「でも息子さん、今まで頑張ってきたんだね」としか言えませんでした。

とにかく落ち込んでいる彼女を励ますことが優先だな、と思ったので、そこに徹しました。

彼女は「ありがとう。気がラクになったよ。」と言い、

「とりあえず夏休みだから親子でのんびり過ごすよ」と少し弱弱しかったですが、

笑顔を見せてくれました。

わが子には責任が伴う

「不登校」と言っても様々な対応があり、正解はありません。

「また学校に行けるようになった」となっても、それはたまたま対応がうまくいった結果であって、

同じ対応を他のお子さんにしても、うまくいくとは限りません。

そんな完璧な対応の仕方があるなら、不登校のお子さんで悩んでいる親御さんもいません。

さて、わが子が不登校になったら、みなさん、どうしますか??

「学校に行かなくてもいい」と謳っている方々が、世の中にはいらっしゃいます。

私も「命を落とすぐらいだったら行かなくてもいい」とは思いますが

不登校になったわが子に、「学校に行かなくてもいい」と言えるでしょうか。

もちろん、そのときの子どもの様子なんかを目の当たりにしなくては分からないと思います。

しかし自分が対応した結果で、子どもに話した結果で、「子どもがずっと引きこもったままだったら・・・」と考えてしまうと、「学校に行かなくてもいい」と私は言えるのかな?と考えました。

確かに「学校に行かなくてもいい」と謳っている方々は、学校に行かなくても一社会人として生活している方、もしくはそういう方を目の当たりにしているのでしょう。

だからこそ「学校に行かなくてもいい」と世間に呼びかけているのでしょう。

そこには、何も責任がありません。

でも、私たちはそれがわが子だったら、責任が伴います。

わが子ではありませんが、友だちのお子さんにとっても無責任なことは言いたくありませんでした。

だから「 息子さん、今まで頑張ってきたんだね」としか言えなかったのです。

わが子の成長に影響を与える私たちの選択

これは何も、不登校に関することだけではありません。

私たちの選択は、子どもの人生や人格形成・発達に影響を与えています。

私の息子でしたら、主な環境として、私と夫が働いて保育園へ行く。

おじいちゃんおばあちゃんと暮らす。

大きな影響でしたら、私や夫の息子への関わり方、私と夫の関係などが関わってきます。

細かいことで言えば、冒頭で述べた食事ひとつとっても、選択の連続です。

また、日々、全てにおいて私たちの一言は、子どもの心を左右させています。

その言葉は子どもにとって励ましにもなれば、

毒や呪いにもなります。

「そんなこといちいち考えて話していたら身がもたない」と思いますが、

忘れてはいけないと、考えています。

私が心がけていること

私が、息子の成長のために心がけていることをお話しします。

能力を決めつけない

私が息子に言わないように心がけているのが

「能力を決めつけること」です。

例えば「あなたはこれが苦手だから」「こういうことはできないから」ということです。

まだ3歳だから、こんなことを言う場面もあまりありませんが、

これから成長するにつれ、得意なこと、苦手なことが顕著になってくると思います。

子どもは親が思っているよりも親の影響を受けています。

実は私がそうでした。

私は歌が好きでしたが、小学生のときに母親から

「おまえは声が低いから高い声が出せない」と言われました。

母親からすれば本当に悪気もない、些細なことだったと思います。

でも私は「そうなんだ。私は高い声が出ないんだ。」と思い

自分で自分に制限をかけてしまいました。

高校時代は大好きなカラオケに友だちとよく言っていましたが、男性ボーカルの歌を主に歌っていました。

でもある日、どうしても大好きなJUDY AND MARYの曲を歌いたい!と思い歌ってみたら

声が出たのです!!

え?私、高い声出るじゃん!と驚きました。

このように、子どもの能力に知らず知らずのうちに制限をかけてしまう場合がありいます。

だから私は、そのような言葉ではなく、プラスの影響になるような言葉かけをしていきたいです。

親の都合だけで、子どもを動かさない

また「親の都合だけで子どもを動かさない」ようにしています。

親が「こうしたい」という思いがあるように、子どもも「こうしたい」という思いがあります。

親が「こうしたい」ことを、子どもは「したくない」と思うこともあります。

なるべく子どもの思いを尊重できるように、

「私はこうしたいけど、息子はこうする方が楽しいんだ・好きなんだ。じゃあ、それでいっか!」

というように、柔軟に対応するようにしています。

時間などの制約がある場合は、無理やり息子を動かすことがあまりないように、

余裕をもってやるようにしています。

子どもは未熟な存在です。だからこそ親の保護や教育が必要です。

しかし、人格が全くない訳ではありません。

子どももひとりの人間です。

その子どもの意思を尊重すること、考えを認めてあげることも

これからの人格形成や成長に、大きな影響を与えると考えています。

これらの考えも、私の親としての「選択」ですね。

もちろん、私も人格者ではないので、

息子の意思を尊重できずに怒ってしまうこともあります。

そんなときは、素直に謝ります。そして「ぎゅーしていい?」と聞きます。

「大好きだよ」ということを常日ごろ伝えるようにしているのも、

私の心がけていることですね。

誰もが、子どもが心身ともに健康に、そしてよりよく成長して欲しいと願っていると思います。

だからこそ、何がよいことか、こんなときどうすればいいか、この言葉がけでよかったのかと迷うこともあると思います。

でも、そうやって真剣に悩んで子どもへの対応や接し方を考えているということは、それだけで親として成長していると思います。

私もわが子によりよい影響が与えられるように、日々考えていきたいと思います。

それでは、きょうも笑顔で!

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